In-game Photography
ゲームプレイとして写真を撮影すること
仕事としてゲーム内で写真を撮っている
外注は少ないと彼もインタビューで述べている
独特な立ち位置
アンディ・ウォーホルをリファレンスに
選択された肌の色や外見の向こう側について
武器を持ってなくて写真を撮る機能にMODで変更
遊び方も変わる
目的意識を変えている
ちゃんと写真家
バックシート
競争などのゲーム性から離れた部分を収める
MODなどを利用して後部座席にアクセスして撮っていく ゲームの目的性から離れて穏やかな様子に
table:撮影行為の変化
撮影方法 被写体の位置 記録メディアの位置
フィルムカメラ 物理空間 物理空間
デジタルカメラ 物理空間 デジタル空間
In-game photography デジタル空間 デジタル空間
インゲームフォトグラフィーは完全なデジタル写真と言えるかもしれない
フィルムカメラと対になる関係なのでは?といえる
しかし、インゲームフォトグラフィーは写真と呼べるだろうか?
ゲームの画面は常にリアルタイムにレンダリングされていて、
撮影される以前にすでにピクセルで描画されている。
極端に言えば、被写体と写真が同一なので、撮影する必要がない。
撮影と呼べるかも怪しい。撮影というよりも移動や複製に近い。
写真を撮るという行為のシミュレーション。
フォーカスや絞り、被写界深度など実際の写真撮影の技術的条件のシミュレーション
ある決定的な瞬間にシャッターを押し、レンズの特性によって
ボケが生まれ、像が歪んだり周辺減光がおき、フィルムの粒子
が映り込むといった、これまで写真撮影のなかで一瞬で起きて
いたプロセスが全て分解され、個別に操作可能になり、シャッ
ターを押すという操作が希薄になっている。
決定的瞬間と取り沙汰されるのは、瞬間を切り取るメディアではなかったから “常に、演算の「状態」の表出であるデジタル・イメージ ”には、始まりも終わりもない。かつて写真が、その成立基盤を置いていた、シャッターが切られた瞬間という概念は、どうなるのだろう。
(中略)
わたし個人は、「瞬間」という概念が、そのイメージの表出において、わたしに別れを告げに来ているような気がしてならない。”
(メディアアートなどにおける)動的にイメージが表示され続ける状態への言及
https://youtu.be/M4ASokPq9Yo?si=571jRDhWsJeoSQIT
AIによって動作するキャラクターによって、プレイ中に自動的に写真が撮影される。エンディングではこれまでに撮影された写真が流れ、これまでの冒険の記憶が想起されるような体験になる。記憶が、AIとの協働によって作り出される。
4人のうち一人しか操作できないが、本当に旅しているような感覚に
Google clip と同じ
記憶の一部がAIと作られている感じ
決まったレールの上をトロッコがぐるぐる走って点数を稼ぐゲーム
草むらの背後に仲間ニャースがいることが確認される
人間の目で撮るということが行われていない
raycastが貫通
対象が像として写らない写真を撮影するという倒錯した目的が生まれている。
カメラアプリによるフィルター機能を前提としたメイク
機械のフィルター機能のためのメイク
メディア自体がコンテンツになる
新しいメディアは古いメディアを内包していく
彼の時代はテレビ
テレビの中には色んなメディアが内包されている
デフォルトでホテルのテレビで暖炉が配信されていた話
暖炉がリラックスのメディアだった
暖炉がテレビに代替されたという考え方もある
ビデオゲームもコンピューター上で動作するソフトウェアであり、メタメディアである iosのfocosというアプリで中身を見れる
ポートレートモードは距離を撮影・取得している
実質3Dスキャン